2017.07.23 Sunday
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ちゃちゃきぃの日記的weblog。くだらない話、ひとりごと、練習日記etc。
HPが図書館なのでblogはその中の雑誌コーナーというスタンスです。どうぞごゆっくり...。 2017.07.23 Sunday
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2005.01.30 Sunday
練習日記1/30(白金フィル室内楽)
シューマン『おとぎ話』の初合わせ。この曲はCl+Vla+Pfという珍しい編成。この編成ではモーツアルト『ケーゲルシュタット・トリオ』が一番有名だが、この曲もなかなかいい曲である。個人的には同じ編成ならブルッフの作品が一番好きだが、なにしろ全楽章でたしか35分ほどはある大曲なので、実際にやるならシューマンだろうと思う。
そうは言ってもこの曲、音楽作りが大変に難しい曲だということが、今日のプロ−べで実感出来た。いやはや、内輪の演奏会とはいえ前途多難である。今日は初合わせということであまり細かい点を詰めることはしないつもりだったが、音楽にするのが難しいので物理的に合わないところは今日からやっておこうという流れになった。 個人的に悩んでいるのが2楽章。アナリーゼは難しいし、左手も変な難しさがある。ただ、今日合わせてみて音楽の構造が分かり、光が見えてきた感もある。どちらにせよ、violinとviolaの奏法の違いをしっかり認識して弾かないと、編成から来るバランス作りの難しさも手伝って、なんかスカスカやってるだけだったね、と言われるような演奏になってしまいそうだ。次のプロ−べまでにやるべき課題が沢山ありそう...。とりあえず、弦替えよう(爆) 2005.01.12 Wednesday
妙な違和感
大変遅くなりましたが、全国約3名のつれづれblogファンの皆様、あけましておめでとうございます。松も明けて世の中はすっかり通常運転だというのに、いまごろこんな挨拶で申し訳ありません。まあ、つれづれなるままに更新するblogですから(しかもHPはもっと更新が遅いし、なんてツッコミはなしですよん)、どうか大目にみて下さい。
いまさらついでに開き直って大晦日に感じたことを・・・。 昨年の大晦日、子供を早く寝かせようという魂胆もあって「ドラえもん」specialを観た。ドラえもんを観るのは実に久しぶりだ。15年は観ていなかったんじゃないだろうか。 途中からだったので観ているうちになんとなく分かった事なのだが、このspecialは「ドラデミー賞」と題して、反響が大きかったのか何らかのテーマがあったのか制作サイドで好評だったのかはよく分からないが、とにかく感動編とでもいうべき話が何本か集められていた。そして「ドラデミー賞」の授賞式なのか何なのかよくわからなかったのだが、舞台上でドラえもん以下主なキャラクターたちによる短いストーリーテリングを挟んで構成されていた。 で、妙な違和感を覚えたのはこのストーリーテリングである。 話がみな感動編(のび太の名前の由来とか、「かわいそうなぞう」を下敷きにした話など)だったせいもあるのかもしれないが、そのストーリーテリングが妙に舞台俳優調で、しかもセリフがみな優等生の発言なのだ。しずかちゃんやドラえもんが言うならまだしも、スネ夫やジャイアンがいうセリフじゃなかんべえ、という感じなのだ。のび太だって相当ビミョーだ。 我々30代の人間は言うまでもなく放送開始当時を知っている世代だ。放送開始前からドラえもんを原作で読んでいた人だっているだろう。そういう世代の人間にとって、どうも違和感が感じられてならないのだ。 そんなことを考えていた時に思い出したのが、同じ日の昼間にAMラジオで聞いた声優たてかべ和也氏(ジャイアン役)のインタビューだった。氏は、ジャイアンはガキ大将だけれど、心根は優しい子なんだ、と言っていた。そう言われれば多少は納得できるが、しかしそれでも100%納得しかねる自分がまだ存在している。 それからもう一つ思い出したのは、大山のぶ代氏が「『ドラえもん』のセリフには汚い言葉や人を傷つける言葉は一切出てこないし、脚本に出てきた時は直してもらっていた」とNHKラジオで以前言っていたことだ。確かに原作もその通りなのだろうが、正直に言って現代の感覚とはずれてしまう部分がどうしても出てきてしまうのではないか。(かといって、自分の子供にはそういう言葉を使って欲しくないという虫の良い自分もいたりするのであるが。) きっと『ドラえもん』は、四半世紀以上もの長い間テレビという媒体で放送されているうちに、「漫画の『ドラえもん』」ではなく「アニメの『ドラえもん』」になってしまったのだろうと思う。そう考えれば、放送開始当時よりもずっと世の中の子供たちがすれて、相対的にジャイアンやスネ夫が「多少は悪ぶっているけど世の中全体から見れば純粋で良い子の部類」になってしまった現在、「アニメの『ドラえもん』」に課せられた役割として彼ら登場人物たちが子供たちの「先生」にならざるを得なくなってきているのではないだろうか。そんな気がした。 それはそれでいいのだけれど、でもやっぱりドラえもんってこうじゃないんじゃないかなあ、それとも自分が歳をとっただけのことなのかなあ、という、なんともモヤモヤした気分が残った年末だった。
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